2009年03月02日

1995年以後 次世代建築家の語る都市と建築レビュー(近畿より)

1週間前にエクスナレッジ社から表記の本を謹呈頂いた。
先般、大阪でのイベント「建築の手帖」でラウンドアバウトジャーナルのお話を聞かせて頂いた建築家の藤村龍至さんの計らいである。
となれば勿論、感想?を書かずにはいられない。
 本書の詳しい内容は既に多くの方々がレビューされているとおり、
何らかの形で建築に携わるアトリエ事務所、組織事務所、研究機関など所属は様々でさらに建築家以外にも、研究者、エンジニアなど幅広いジャンルのメンバーへのインタビューである。私自身も同世代の者として建築に間接的に関わっている立場から、各人が取組む仕事や活動のスタンスに着目して読むことができた。
すなわち、職域・職能について視野が広がったともいえる。
 

■Re:アナログ的ネットワーク元年
 
1995年といえば著書にも記されているとおり様々な印象的な出来事があった。その頃、僕にとってはインターネット元年どころではなく阪神大震災の印象があまりにも大きい。廃材や壊れた街並みを目の当たりにして自分はこれから何ができるのだろうと考え始めた時であり、この被災がきっかけとなり今があり、建築全般について間接的なスタンスで活動をしている。社会的には勿論、まぎれもなく人生の大きな変化であった。本書のインタビューにもあるように名古屋工業大学准教授の北川啓介さんも阪神大震災に何らかの衝動を駆り立てられ行動を起こした一人のようだ。学生時代の関西への泊まりがけの実習の見学先が中止となった場所が続出したという。それで震災を実感し大阪から三宮まで歩いて見た光景がニュース報道される光景と異なり報道と現実のギャップを感じたという。さらに倒壊した木造家屋の作業を手伝いながら建築の儚さを感じたとも言う。今は、戦災復興事業によって日本一のインフラ整備を誇るといわれる名古屋の計画的な空間に対し、場所を取り戻す新しい価値を見出す活動をされている。
 本書が様々な建築に関わる者のバックグラウンドに基づいた共通のフレームを見出そうとし、雑誌の公共性とブログの日常性をつなぐ第3の媒体としてのフリーペーパーをベースとしたインタビュー活動といったオルタナティブなメディアの可能性を信じてスタートしているように、1995年当時、とりわけ阪神大震災での被災、外部から何らかの行動に移した建築に関わる人たちにとっては、おそらくインターネットよりも自らの足と手で物理的にも実感できる様々なつながりを見出そうとして再出発した時だったのだろう。

 
 
■概念はどこまで届くのか 
 前置きが長くなったが、都市、郊外、設計手法などの様々な概念による議論を骨子とした本書の根底には藤村さんたちの定義する「批判的工学主義」が揺るぎない概念の一つとしてあるだろう。それについて例えば本書で構造家の満田衛資さんが「もっと直接、設計界というピラミッドの真ん中あたりから下の方で話さないと駄目だと思うんです。学会に来ている人たちってやっぱりピラミッドの上層部の理解ある人たちですよ。ピラミッドの上の短い距離でアトリエと組織をブリッジなんて言っても何も改善されませんよね。」と指摘している。はたして、そのようなことを実際に改善するにはどのようなことが必要だろうか。そのために一つは都市や建築のユーザー側である施主や客人の生活者の視点であるとか、住生活環境の話をもう少し掘り下げた視点の議論にこそ、その活路があると期待したい。そのことは造り手側の多くの建築関係者にとっても関心どころではないか。浸透しにくいかもしれない概念、コンセプトは、建築関係者以外にも大多数である一般市民へのアプローチの仕方が問われるようにも思ったのだ。
 たしかに本書において、例えば藤本壮介さんが「・・・前略・・・新しい建築、新しい成り立ち、新しい生活、新しい秩序というものを無限に追い求めたいのです。真理に到達するのではなくて、世界の可能性をどこまでも探りたい。そうすると世界が少しだけ、豊になるような気がするのです。その可能性の素晴らしさを多くの人々と共有したいのです。」と言うように、幾分、造り手側の押し付けがましさを省くユーザー側にとっても新たな可能性を示唆するような内容であったり、
また、石上純也さんが「・・・前略・・・例えば、森の中を車で通り過ぎるとき、街の中を車で通り過ぎるときに、僕たちは森や街そのものを体験しているわけではないけれど、環境としての何かを感じている。・・・後略」というような発言であれ、生活環境の話は挙がってはいる。だが、あまりにも感覚的で具体的な議論に深くは介入するつもりはないような印象を受けた。
いや、それとも、そのような生活や環境といったことが当たり前に言われる今の時代に、都市や建築において、生活や環境問題の議論を始まるまでもなく、既に暗黙の了解的アジェンダがあるのかもしれない。そのように想像していると環境問題が世界で話題となった1992年の地球サミットで採択されたアジェンダ21が思い起こされた。環境保全のための規範を各論において実現するための行動計画である。(条約のような拘束力はないが、各国の政策への反映が期待されたもので、以降、国連環境会議で各国の行動計画の取り組みが点検されている)

もっとも、昨今の議論に多い古き良き時代への回帰や自然素材利用、温熱環境等の追求ばかりで、デザイン的感覚の切れ味を無視したような環境建築として君臨している姿では何だか物足りない。環境建築とデザインや概念を反映した建築のバランスが語れる、造れる建築家は果たしてどれほど存在するのだろうか。

 建築家の難波和彦先生が228日(土)付の青本往来記で本書について次のように述べている。1970年代生まれの建築家たちの多様性を知ることはできるが共通点を見るのは難しい。あえて共通点を挙げるなら、やはり歴史意識の欠落だろうか。結局のところ本書から最大の成果を得たのは編著者である藤村さん自身だろう。藤村さんが唱える「批判的工学主義」をリトマス試験紙とした若い建築へのインタビューとして読めば興味深いかもしれない。批判的工学主義はフランプトンの「批判的地域主義」のもじりだろうが、フランプトンがインターナショナル・スタイル(国際様式)に地域性を導入することによって、モダニズムのユニバーサリズムを批判的に乗り越えようとしたのであれば、批判的工学主義は何に対して工学主義を導入しようとしているのだろうか。美学/形態主義だろうか資本/経済主義だろうか。あるいは昨今流行のアルゴリズムを意味するのだろうか。建築が工学に根ざすのは当たり前の話なので、カントの三批判と同じく、批判的工学主義とは工学の総合的・徹底的な適用のようにも思える。ならばそれはそのままサステイナブル・デザインに通じるかもしれない。」 

 なるほど確かに「批判的工学主義」が批判的「地域」主義のもじりだとすれば、批判的「地域」主義は固有なものと普遍的なものという2つのベクトルをうまく馴染ませたものであるからこそ、前述した環境建築とデザインや概念を反映させた建築との融合が「工学」の力を利用しながら建築と都市を再構成しようとする批判的工学主義にも可能なのかもしれない。すなわち、概念やデザインと環境的感覚をバランスよく上手く調停させた建築や都市空間が「批判的工学主義」には期待されるのだ。そして今回の様々な一般読者からのレビューは、藤村さんの試みとして日本全国の読者に対して公募したものなのだから、ウェブが創る新しい地域性のあるレビューとしても期待される。現在の批判的工学主義に共感または批判する読者たち自らが、あたかもかつての批判的地域主義へ回帰するようで興味深い。

■手法は
 とはいえ、繰り返すが本書の趣旨は雑誌などの公共性とブログなどの日常性をつなぐことを目的としたフリーペーパーをベースにまとめあげたインタビュー集なのである。藤村さん(たち)のインタビューは見事で読み進めるうちに臨場感が迫ってくる。読みながら思い出した書籍に例えばライターの永江朗さんの著書「インタビュー術!」がある。その中に記されているが、タレントの黒柳徹子さんは予めゲストに対して、あなた○○なのですって、それで××したのでしょう、などとゲストの言いたい事を見事に誘導し、引き出して時には、なぜ?と問い詰めてゆく。余談になるかもしれないが永江朗さんは藤村さんの師である塚本由晴さんに自邸の設計依頼をされておりそのプロセスが著書「狭くて小さいたのしい家」としても実現している。
 だが、一方でインタビュー記事や書籍よりも大多数の一般ユーザー側の立場からすれば圧倒的な影響力を持つメディアはテレビであろう。そのような現状の中、建築・都市界において「徹子の部屋」で繰り広げられる絶妙のファシリテーションのような手法で見事にインタビュー集を書籍として短期間のうちに実現したのだ。そのプロセスでさえも本書に度々登場するアルゴリズムという言葉の意味に通ずる実践のように思うのだ。誤解を恐れず言うならば本書はまさに「龍至たちの部屋」を構築したといえるのではないか。 

■そして僕ら読者は何を目指すのか?
 ところで、本書のようなインタビュー集の議論を読み、それで将来どうなるの?という読者もいるかもしれない。とりわけこれから建築家を目指し或いは建築に関する職に就くもっと若い世代にすれば、おそらくどういうふうに実務の現場に活かされるのだろう、だとすればそれはどんな職業なのだろう、と不安と期待が錯綜するだろう。

それは本書において例えば以下のような発言で救われはしないか。


・建築家の森田一弥さんは
「ローカリティに縛られるんじゃなくて、土は世界中どこにでもある素材だし、それを扱う技術も本当に基本的な部分は世界中どこでも一緒だということが重要です。・・・中略・・・建築設計にもローカリティとインターナショナルを両立させる方法があると思います・・・後略」

「神楽岡工作公司という組織をつくって、勉強会をやっています。それは職人をやっていた時にできたネットワークです。京都では設計者だけでつながっているより、職人とつながっているほうが面白い。設計者とまったく違う視点で建物を見ています。彼らと新しいものをつくろうと考えることは刺激がありますね。」

・建築家の重松象平さんは
「アメリカの場合、アトリエというのがほとんど存在しないから新しい組織の形態でいうとSHoPのようなデベロッパーとの距離感をうまく調節している若手がいます。デベロッパーから仕事をもらうときに設計料を要求せずに、利益を共有する。」
 

・建築家の中村拓志さんは
「商業主義の力を利用して新しい建築をつくる。そしてその建物を通して自分が信じるよりよい社会をつくりたい。もちろん消費の量が最大の評価軸となってしまうような世界は、持続可能な社会という意味で問題がある。もちろん商業主義は欠陥だらけのシステムです。けれど今はその力を利用しないとこの社会は変えられない。例えば物の消費からサービスの消費への価値転換を建築によってはかるとか。・・・後略」

・デザインエンジニアの田中浩也さんは
「僕らの職能は立ちあがってきたけれども、社会と接続するマーケットのポイントは今のところ商業空間しかないように見ます。だからみんな都市の中で商業系、広告系の流れと合流しながら仕事をやってます。僕たちはもうちょっとローカルな街づくりの方面にこういうテクノロジーや技術、表現を持ち込もうとしています。」

・社会学者の南後由和さんは
「・・・前略・・・建築の専門教育を受けていなくとも、空間造形力に優れた他ジャンルの人が進出してくるような気がします。デザイン監修でゼネコンなどと協働するようなかたちで。アートディレクターの佐藤可士和さんはそのような兆しのひとつかもしれません。」 

「大学研究室と同時にいずれシンクタンクのようなものをつくりたいと思っています。大阪万博のブレーンだった川添登さんたちは、1970年にCDIというシンクタンクをつくって文化行政の火付け役となる報告書をまとめました。それが地方自治体の首長会議でも採用され各地で黒川さんや磯崎さんなども設計した美術館や博物館が生まれる下地をつくりました。」 

「・・・前略・・・ 従来あるシンクタンクは文化行政的なものを除くと土地や証券の話が多く、建築やデザインに関するリサーチ期間はありません。例えば保存や建て替えの問題が起こったとき、学会が建築史的な価値を主張することはできても、経済効果や社会的価値を提示できず、なかなか声が届かないということが起こっています。」 

「・・・前略・・・ 今後あるべきリサーチ機関の方向づけや位置づけを探りたい。プロジェクトごとに学際的なチームを組んだり、リサーチのコンペをやったりと、建築家だけでなく、経済、環境、情報、歴史などの専門家を含めたネットワークを構築できれば良いなと思っています。」
 

 他にもあるとは思うが、主に以上のような彼らの発言が一つの方向を示唆しているようで、これらをキーワードとヒントにこれからの新たな職域の可能性を垣間見ることができる。
 

2009年以後にむけて
 僕が建築を勉強し始めた1995年ごろに世に出た書籍で印象的なのは建築家であり小説家の鈴木隆之氏の「建築批判」である。インタビューではないが、様々な建築家や文学者、小説家の活動や言説に対して批評を繰り広げている。
建築家の磯崎新が「建築の解体」以降、様々な思考の果てにヨーロッパの全文化の中で抽出されたという「大文字の建築」こそ建築であると結論づけたことに対し、鈴木氏は「建築」などありえない、すべてが「建築」でしかないという認識のみがありうるとしている。極めて論理的な手続きにより異議申し立てを行った。震災後のこの頃、僕は学生ながらこの本を読んで妙に勇気付けられたことを憶えている。

 
 その時、感じた以来、いやそれ以上の衝動が本書「1995年以後」にはあった。


 巻末で山崎泰寛さんが「インタビューは読むのもするのも面白い。それはインタビューという読み物が日付とともにあるからだと思う。・・・中略・・・インタビューという形式は紙メディアという限界はあるにせよ、ある種の繋がりの社会性を持った参加型のメディアとして成立していると私は思う。インタビューはとは閉じられた円環ではなくさらなる到達地点への思考回路=回転広場として・・・後略」と述べている。
 これに付け加えるならば、先に藤村さんたちのインタビューを「龍至たちの部屋」と述べたが、平日の午後の日常のテレビというメディアを通して公開される「徹子の部屋」との圧倒的な違いは、当然のことだが画面ではなく建築内部の部屋、空間でさえ外部の他者或いは都市に向けて融合させていっていることではないか。自らの領域へ迎え入れるだけでなく、自らの足でも相手の場所へ出向きインタビューした結晶なのだから。
 そして1995年以後、著者らが建築や都市について考え議論しつづけたプロセスが、今こうして新しい世代、新しい時代へ向けた都市と建築に関するアジェンダ2009として世に提示されたのだ。

1995.jpg

posted by Tsukio Toda at 22:05| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/115050644

この記事へのトラックバック